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1500m走をやらせる学校はバカで時代遅れ

Q.「京都・京丹後市の中学1年生が
体育で1500メートル走を走っている途中に倒れ、
搬送先の病院で亡くなる」というニュースがありました。
私は昭和世代の人間ですが昔から、
体育の授業の1500m走に疑問を感じていました。
小学生の頃は成長段階に差があり、
何も運動をしていない子と野球チームで走り慣れている子など違いがあります。
それを同列に扱うのは如何なものかと思うのです。
苦手な人は1年訓練して心臓を強くすることはできますが、
趣味でなければそんなことはできません。
また、現代では”走り過ぎは危険”と言う声も増えて来ました。
走りすぎると骨が減る&心臓の無駄使い等、
リスクが取り上げられています、
むしろ筋トレ>マラソンの方が安全とも言われる時代です。
このような時代遅れの教育についてどう思いますか?

A.ご指摘の通り、
体育の授業での1500m走については、
教育的意義や安全性について再考すべき点が多くあります。
以下に、問題点と現代の視点からの考察を簡潔にまとめます。

マラソン授業の問題点

成長段階の個人差

小中学生は発育の速度や体力に
大きな差があり、運動経験の有無も影響します。

全員に同じ距離・ペースを強いるのは、
身体的・精神的な負担を不均等に与える可能性があります。

特に運動習慣のない生徒にとって、
急な長距離走は心肺機能骨格に過度な負荷をかけるリスクがあります。

教育的意義の曖昧さ

1500m走は持久力の育成や
自己克服の精神を養うとされていますが、

強制的な一律実施では、
運動嫌いやトラウマを生む場合も少なくありません。
現代では、個々の興味や能力に応じた
運動プログラムが推奨される傾向にあります。

1500m走をやらせる学校はバカで時代遅れ

健康リスクの認識

近年、過度な有酸素運動が
骨密度低下心臓への負担を引き起こす可能性が指摘されています。

一方で、筋力トレーニングは
怪我の予防代謝向上に効果的で、
長期的な健康に寄与しやすいとの研究も増えています。
長距離走にこだわるより、多様な運動を取り入れる方が合理的です。

現代の教育への提案

個別化と選択制

生徒の体力や興味に応じて、
走る距離や種目を選択できるようにする

例えば、短距離、ウォーキング、
サイクリング、ヨガなど、多様な運動を用意し、楽しみながら健康を促進する。

科学的根拠に基づくプログラム

最新の運動生理学や健康科学を反映し、過度な負荷を避ける。
心拍数モニターの使用や事前の健康チェックを導入し、安全性を高める。

運動の楽しさを重視

競争や記録よりも、
運動そのものを楽しむことを重視する。

チームスポーツやゲーム形式の
アクティビティを取り入れ、
運動へのポジティブな意識を育む。

教師のトレーニング

体育教師に最新の運動科学や
リスク管理の知識を教育し、適切な指導法を徹底する。

時代遅れの教育への見解

1500m走のような一律の長距離走は、
昭和の「忍耐力至上主義」や軍事訓練の名残ともいえる側面があり、
現代の多様な価値観や科学的知見に必ずしも適合していません。

運動は健康増進や自己実現のための手段であるべきで、
画一的な苦行であってはなりません。

京丹後市の悲劇のような事件は、
こうした旧態依然とした教育のリスクを浮き彫りにしています。
教育現場は、生徒の安全と幸福を最優先に、
柔軟で科学的なカリキュラムへと進化する必要があるでしょう。

コメント

  1. 昭和脳のバカ先生くたばれ より:

    鼓動できる回数は決まっている
    寿命を減らそうとする先生は殺◎鬼でもある

  2. 匿名 より:

    運動ができる先生による
    悩筋が生徒を苦しめている
    一人で走ってろよクズ先生ども
    糞先生が一人で走れ!

  3. 匿名 より:

    段々と距離延ばすなら良いけど
    そんな教育うけないよね
    いきなりだよね馬鹿だわ

  4. 匿名 より:

    今回は更に春休み明け即1500だからな
    アホにもほどがある
    根性論を押し付ける先生が未だに多い
    全国でこんな事やってるのアホだろ
    だから段々と外国人に侵略されてるんだぞ

  5. たろさ より:

    古い事をやめられない日本の欠点

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