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プロ野球ファンをやめた理由~かつての情熱と向き合って~

私はかつて、プロ野球の熱心なファンだった。

毎試合テレビやネット中継にかじりつき、
贔屓チームの勝利に一喜一憂し、選手の活躍に心を躍らせていた。

球場に足を運ぶこともあり、
スタンドの熱気の中で応援歌を歌い、
仲間と語りながら一体感に浸ったあの時間は、確かに楽しかった。

悪質な阪神ファンと悪質な忖度審判

しかし、5年前くらいから、
私はプロ野球から少しずつ距離を置くようになった。
いや、はっきり言えば、「ファンであること」をやめた。
その理由を、今回は少し整理して綴ってみたい。

応援の「無力感」と向き合う

プロ野球を応援する中で、
最も強く感じたのは「無力感だ。

筋トレ仕事では、
努力すれば結果が目に見えてついてくる。
ジムで汗を流せば筋肉がつき、
仕事でスキルを磨けば成果が上がる。
そこには自分の行動が直接的に結果につながる実感がある。

阿部監督と巨人甲斐拓也「絶対タッチしてます」リプレー検証でクロスプレーの判定が覆る阪神に2連敗アウト判定からセーフ

一方、プロ野球の応援はどうだろう?
どんなに応援しても、選手のパフォーマンスや
試合の結果に私の力は一切影響しない。

勝てばもちろん楽しい。
だが、負ければストレスがたまり、時には苛立ちさえ覚える。
特に大事な試合で負けたときのあの虚無感は、なんともスッキリしない。

この「必ず楽しめるとは限らない趣味」という点が、
私の中で大きな違和感となっていった。

応援は一見、ポジティブな行為に思えるが、
結果が自分のコントロール外にある以上、
どこかギャンブルに似た不確実性が付きまとう。
勝敗に振り回される自分に、だんだんと疲れてしまったのだ。

ファン同士のいざこざにうんざり

もう一つ、プロ野球ファンをやめるきっかけとなったのは、
ファン同士の対立や悪質な振る舞いだ。

特にSNSや球場でのやり取りを見ていると、
応援の枠を超えた過激な発言や、
相手チームのファンへの煽りが目立つ。

たとえば、特定のチームのファンが
他チームの選手やファンに対して侮辱的な言葉を投げかけたり
試合結果をめぐって口論がエスカレートしたりする光景を何度も目にした。

特に、関西の某チームのファンの中には、
ケンカ腰で子供っぽい振る舞いをする人が多いと感じた。
もちろん、全員がそうだとは言わない。
素晴らしいファンもたくさんいる。

しかし、一部の過激なファンの声があまりに大きいため、
純粋に応援を楽しみたい人にとって居心地の悪い空間が生まれることがある。
SNS上での「煽り合い」や、球場での罵声の応酬を見ていると、
応援すること自体がストレスになってしまう瞬間があった。

審判の「忖度判定」と曖昧なストライクゾーン

さらに、試合そのものの公平性に対する疑問も、
私のプロ野球離れを加速させた。

球場によっては、審判の判定に
「忖度」が感じられるケースがある。
ホームチームに有利なコールが続いたり、
明らかにミスジャッジと思える場面が試合の流れを変えたりする。
こうした「忖度判定」は、ファンにとって試合の純粋な楽しみを奪うものだ。

特に、緊迫した試合でストライクゾーンが曖昧だったり、
クロスプレーなど”きわどい判定”が繰り返されると、
勝負の公平性に疑問を抱かずにはいられない。

もちろん、審判も人間だ。
ミスは起こりうるし、難しい判断を
瞬時に下さなければならない彼らの立場も理解できる。
しかし、ビデオ判定(リクエスト制度)が導入された今でも、
納得できない判定が続くことがある。

こうした瞬間が積み重なると、
「純粋に勝負を楽しむ」ことが難しくなってくる。
試合結果が選手の実力や戦略だけでなく、
審判のさじ加減に左右されるかもしれないと思うと、なんだか冷めてしまうのだ。

プロ野球の魅力と向き合う難しさ

プロ野球には、確かに多くの魅力がある。
選手たちの超人的なプレー、チームの戦略が噛み合ったときの興奮、
ファンが一体となって応援するあの熱狂。
こうした瞬間は、スポーツの素晴らしさを象徴している。

しかし、ファンとして長く関わっていく中で、
こうした魅力が薄れ、ネガティブな要素が目立つようになってしまった。

たとえば、贔屓チームの試合に一喜一憂するあまり、
日常生活にまで影響が出てしまうことがあった。
負け試合の後は気分が落ち込み、翌日の仕事に集中できないことも。

応援が「義務」のように感じられる瞬間すらあった。
プロ野球はエンターテインメントのはずなのに、
なぜか自分を縛る鎖のようになってしまったのだ。

また、ファンのコミュニティにも複雑な思いがある。
仲間と一緒に応援するのは楽しいが、
過激なファンや対立する空気に巻き込まれると、
純粋な楽しみが損なわれる。

SNSで試合の感想を呟けば、
知らない人から攻撃的なリプライが飛んでくることもある
こうした環境では、気軽に応援を楽しむことが難しくなる。

新しい楽しみを見つけるために

プロ野球ファンをやめた今、
時間の使い方が大きく変わった。
以前は試合中継に何時間も費やしていたが、
今はその時間を筋トレや趣味、仕事のスキルアップに充てている。

プロ野球ファンをやめた理由。応援しても報われないむなしさ、阪神巨人ヤクルト横浜

努力が直接結果につながる活動は、
精神的な充足感を与えてくれる。

プロ野球のように、
結果が自分の手に委ねられていないものに
振り回されるストレスから解放された感覚がある。

もちろん、プロ野球そのものを否定するつもりはない。
素晴らしい選手や感動的な試合は今も存在するし、
熱心なファンの人たちが楽しんでいる姿を見るのは微笑ましい。

ただ、私にとっては、
応援の「無力感」やファン同士の対立、
判定への不信感が、時代遅れを感じ
楽しさを上回るようになってしまった。
それなら、潔く距離を置いたほうが、自分にとって健康的だと感じたのだ。

最後に:ファンであることの意味を考える

プロ野球ファンをやめたことで、
改めて「応援する」という行為について考えるようになった。

応援は、選手やチームへの愛情を表現する素晴らしい行為だ。
しかし、それがストレスや不快感の原因になるのであれば、
一度立ち止まって見直す必要があるのかもしれない。

今後、プロ野球がもっと公平で、
ファン同士が互いを尊重し合える環境になれば、
また気軽に応援を楽しめる日が来るかもしれない。

審判の判定に対する透明性が向上し、
ファンのマナーも改善されれば、
純粋にスポーツの魅力を味わえる場が広がるだろう。

それでも、今の私はプロ野球から一歩引いた場所で、
自分なりの楽しみを追求している。
かつての情熱は確かに私の人生の一部だったし、
その思い出は今も大切にしている。

でも、これからは自分の心が本当に
ワクワクするものに時間を使いたい。
そう思って、プロ野球ファンを「卒業」したのだ。

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