小学生でもわかる玉川上水の歴史と玉川兄弟

玉川上水の歴史と玉川兄弟

【玉川上水とは】

玉川上水は多摩川から分岐して生まれる川です。
1654年に完成しました。
同じたまがわという名前でも漢字が違います。

玉川上水は、江戸時代に江戸市(東京)へ
飲料水を運んでいました。
※現在は上流部分だけ(小平付近まで)しか飲み水に使用されていません。

【玉川上水という名前になった理由】

江戸幕府から(1653年)、庄右衛門(しょうえもん)と
清右衛門(せいえもん)が川作りをまかされました。

工事するお金は幕府(ばくふ)から
6,000両が玉川兄弟へ渡されました。
両を今のお金に変えると、1両=10万円くらいで
6000x10=6億円になります。

しかし、途中でお金が足りなくなり、
庄右衛門と清右衛門は自分の家を売って工事費に使いました。

43キロの長さを248日間で掘り、完成した後は、
開削(かいさく)に貢献した庄右衛門と清右衛門兄弟は
幕府から玉川の名字(みょうじ)をもらいました。

※昔の人は、偉い人だけ名字がありました。

高低差が92mしかないのに、43キロの距離を
自然流下式(しぜんりゅうかしき)で少しずつ斜めに彫りました。
100メートルで20cmくらいしか差をつけることができない難しい作業でした。

【玉川上水羽村陣屋跡】

玉川上水羽村陣屋跡(はむらじんやあと)は
水路や※堰(せき)の管理をするために
1653年に設置されました。

現在は玉川上水が始まる場所に、門だけが残されています。
ここでは江戸幕府の役所、水番所(みずばんじょ)と言われ
水道や水門、水路等管理をしていました。

玉川上水羽村陣屋の現在は
東京都水道局羽村取水所になりました。

※堰(せき)・・水の流れを止める所

【玉川上水の終点】

玉川上水は、羽村堰(はむらせき)から
43キロ先の旧四谷大木戸地点(現在の新宿御苑東口)まで続いています。


終点付近(下水道処理の水で、玉川上水を再現している)

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