Q.競馬や競輪に当たるためにトイレ掃除をして徳を積んだという人がいますがおかしくないですか?

Q.徳を積むとはどのような事ですか?
例えば、今日は競馬に当たるために
トイレ掃除をして徳を積んだ」と言う方がいます。
ちょっと違うと思いませんか?
トイレ掃除するのは当たり前ですし、
見返りを求めている気がして
なんとも気持ちが悪いです。
Q.財布を拾ったので届けて徳を積んだ
ドヤ顔をしている人がいますが
こんなの当たり前のことですし
おかしくないですか?

A.「徳を積む」とは、善い行いを積み重ねていくことです。

徳は人間の道徳性や社会性にかかわる行動であり、
人知れず行うことで天や神から報を受けるといわれています。
徳を積むという考え方は、儒教や仏教などの東洋思想に顕著である。

例えば、今日は競馬に当たるためにトイレ掃除をして
徳を積んだという方がいますが、これはちょっと違うと思います。
トイレ掃除するのは当たり前ですし、
見返りを求めている気がしてなんとも気持ちが悪いですよね。

実は、「徳」には「陽徳」と「陰徳」の2つのタイプがあります。
まず、「陽徳」とは良い行いを人に直接感謝され、
表彰されるなど、人に知れ渡ることです。
いわば「陽の目をあびる徳」といえます。

一方で、相手からの見返りや礼を求めない良い行いを「陰徳」と表します。
「徳を積む」の「徳」は後者の「陰徳」が近いでしょう。
人に知られず、良い行いを積み重ねることが「徳を積む」で、
それは孫の代まで続く「徳」といわれることもあるとか。

つまり、「競馬に当たるためにトイレ掃除する」というのは、
「陽徳」に近く、「見返りを求めている」
という意味では「徳を積む」とは言えないでしょう。
本当に「徳を積む」ためには、誰かのためや自分の
成長のためにトイレ掃除するなど、利他的な心が必要です。

「徳を積む」ことには様々な効果があります。
例えば、自分の気持ちが前向きになったり、
何事もいい方向に進んだり、人望が得られたりすることが言われています。

また、「掃除」「寄付」「笑顔」「感謝」「教える」
などが「徳を積む」方法の具体例として挙げられます。

私も「徳を積む」ことを心がけています。
あなたも是非試してみてください。

財布を拾って届けることは、確かに当たり前のことです。
しかし、それを「徳を積んだ」と自慢することは、あまり良くないと思います。

見返りを求めているのではなく、
善い行いをしたことに満足しているのかもしれませんが、
それを他人に誇示することは、徳の価値を下げてしまうと感じます。

財布の持ち主に感謝されたり、
警察に礼を言われたりすることが「陽徳」であれば、
「徳を積んだ」と自慢することは「陰徳」から
「陽徳」に変えてしまうことになります。
それは本当の「徳を積む」ではないでしょう。

私は、「財布を拾って届ける」という行為自体は
素晴らしいことだと思いますが、「徳を積んだ」とドヤ顔をする人は、
少し考え直した方がいいと思います。



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コメント

  1. 匿名 より:

    トイレ掃除なんて男がやって当たり前なのに
    偉そうに掃除したとかいう男は馬鹿なんだよな

  2. 匿名 より:

    毎日掃除なんかしてるが当たらん
    ギャンブルはセンス