生け花などやりますよね?そこで疑問があります。
土に生えている花を見ているならば構いませんが、
なぜ”生き物”である花を抜いて、土より早く
枯れてしまう水に浸けて楽しむのでしょうか?
本当に花が好きならそんなことは出来ないと思うのです。
よく切花を花屋さんで買ってきて部屋に飾ります。
「ただ見ててカワイイからって切って
部屋で枯らすなんてかわいそう。」と考える人もいるはずです。
「その代わり美しいから見ている人を和ますから無罪」
と言う人もいますが、花の一生を人間の一瞬の楽しみに
使われるのもなんか可哀想ではないですか?
土にある花をたまに見かける有難さの方が良くないですか?
本当に花が好きなら自然に任せたくなりませんか?
A.花を摘んだり購入したりして楽しむ人たちは、
花の美しさや香り、色彩や形などを鑑賞することで、
心の癒しや喜びを得ているのだと思います。
花は生き物であり、
土に生えているときが最も自然な状態ですが、
人間は花を切り取ってもその魅力を感じることができます。
花を水に浸けるのは、
切り取った花の寿命を少しでも延ばすための方法です。
水に浸けることで、花は水分や養分を吸収し、
しおれるのを防ぐことができます。
もちろん、土に比べれば花の寿命は短くなりますが、
それでも花を長く楽しむことができます。
花が好きな人たちは、
花を摘むことによって花に対して何らかの
罪悪感や哀しみを感じることもあるかもしれません。
しかし、花を摘むことには、
花や植物にとってもメリットがあることを知っていますか?
花を摘むことで、花の生長を促したり、
植物の管理をすることもできるのです。
例えば、花がら摘みという作業は、
咲き終わった花を摘むことで、新しい花が咲くのを助けたり、
病気や害虫の予防になったりします。
また、摘蕾という作業は、花が咲く前に蕾を摘むことで、
花の数や大きさを調節したり、株の負担を減らしたりします。
このように、花を摘むことは、
花や植物の健康や美しさにも寄与することができるのです。
花を摘むことについて、
様々な考え方や感情があると思います。
花を摘むことは、花に対する愛情の表現でもあります。
花を摘んだり購入したりして楽しむ人たちは、
感謝や敬意を持って、花の命を大切にしているのだと思います。
摘まないで見るだけの人たちも、
花に対する愛情や尊敬を持っているのだと思います。
摘むか摘まないかは、個人の選択ですが、
どちらも花が好きであることには変わりありません。
花が好きな人たちは、花の存在に感謝し、
花と共に生きることの喜びを分かち合える仲間だと思います。
可哀想じゃないか?
この世にそこまで必要か?の声
花とかやってる人には申し訳ないが、
花束など綺麗だなぁとか思うが、
そのために切られる花が可哀想です。
そう思ったことはないですか?
すごくわかります!
可哀想です!
日々弱って枯れていくだけの姿を
見るのが辛いのです。
同じ疑問を持っています。
事故現場や献花台に
置いてあるような花束も
後でゴミとして捨てられる立場にあり
まるで生贄みたいに見えてしまいます。
普通に咲いていたら数週間
生き延びたはずです。
植物を採ることが可哀想とか
浅はかな正義感でモノを言う人がいる
人間の営みは古来より
植物を殺す上で成り立っている
と言う事で正当化する
サイコパスもいるからな
怖いわ。
そうやって無理やり言い訳するんだよね
良い方に解釈する。
競馬も同じ。
競走馬の9割は胃潰瘍だよ。
そう、拷問の練習の繰り返しでね。
で、走れないと馬刺しになる。
↓
これを競馬ファンは
競走馬として生まれているから
当たり前と言い張り、じゃぁ
食べる牛や豚はどうなんだ?
と別の動物を持ち出す。
↓
あえて競走馬を生まなくていい
には辿り着かないバカ
花切っちゃって可哀想じゃないですか?
花は根っこと土に根付いていてこそ
だと思います。
そんなこと言ったら
野菜はどうなんだ?
という反対の声があります。
「なるほど」
可哀想だね!
明日から野菜食べませんw
おっしゃる通り
盆栽もそうですけど、
植物虐〇ですよね
花を買うってほんと不思議です。
お墓に花を供えるのが当たり前
の世界に疑問を感じています。
これは可哀想ですよ。
儲けるためというのが根本にある
花屋全否定ワロタ
コメント
確かに、本当に花が好きならば
わざわざ早枯れさせるのはおかしいよな
自分のために美しさを使いたいのかな
それも怖いな
人間は強欲すぎる
結局、考えてもキリが無くなり考える事をやめるんだよな
宇宙の広さを考えるのと同じ
全部造花にすべき
富田アナが生け花始めたってよ
「幸せ」って言ってた
自分は良くても花の意見を聞きたいね
花「やめて痛めつけないで命を縮めないで」
花「輝かせてくれてありがとう」
どっちなの?