【昭和の体罰がこれ】自分が学生の頃に受けた体罰を書き出してみた

暴力による解決が無い時代へ
少し前は何でもありの時代だった

平成→令和と暴力が追放される良い時代になったが
昭和時代は学校などでの体罰が当たり前だった。
ここでは自分が経験したことのある体罰を書き出そうと思う。

トイレに行くだけで
往復ビンタ&頬をつねる

近年の小学校は、
トイレは好きな時に行けるのが当た前になったが

当時は、休み時間以外に行く事は
非常識という考えがあり、体罰が課せられた。

健康状態というのは人それぞれであり
今では認知されている過敏性腸症候群(IBS)
の人間には非常に辛かった時代である。

特に、朝が安定しない過敏性腸症候群(IBS)であるが
授業前にトイレに行っても、2時間目が終わるくらいまで安定しないのがその症状である。

この間はできるだけ我慢する事になるが、
月に1度程度は我慢しきれずトイレに駆け込む事になる。
(もちろん先生に断る)

先生には個人差があり、
優しい人もいればトイレに行くだけでブチ切れる人間も存在する。

私は我慢の限界でトイレに行かせてもらったが
帰りには先生が廊下で腕組みしており
頬を往復ビンタされ、更につねりあげられたのである。

これは子供ながらに恐怖を覚え
いまだに忘れられない体罰だ。

教室から逆さの計

先生が男子になると
体力を生かした派手な体罰をしてくる。

ケツバットや生徒に後ろを向かせての
サッカーのフリーキック(生徒全員に蹴らせる)
などの、もはや”虐待”に相当する行為だ。

そして、手を滑らしたらほぼ死亡する逆さの計
今思うとゾッとする体罰だった。

2~4階の教室から
生徒の足首を掴んで宙吊りにする。

理科の先生が竹刀常備

先生が竹刀を持って廊下を巡回・・・・
これは昭和ではよく見た光景だ。
先生の中に1人や2人は暴力的な教師が混ざっている

私の学校は、理科の先生が竹刀を振り回していたが
当然ながら、みんなの嫌いな科目は理科だった。

あんなものを脳天に打ち付けるのだから
痛いに決まっている。
恐ろしい時代だ。

体育教師が暴力+教え子にみだらな行為(中学時)

更に、中学生になると変態先生は増えた。

体育教師は暴言を吐きパンチパーマ。
生徒に暴力を振るうだけではなく、
同中学に通う生徒を自宅に招き襲った。
PTAで問題になったものの、たった数ヶ月で復帰したのである。
(今ならとんでもない淫行事件である)

その体育教師は日頃から
体育の先生って言うと”頭が悪い”って思われるからムカつくんだよ
と言っていたが、本当だったのである。

塾での体罰(中学時)

学校だけではなく
進学塾でも体罰が毎日行われていた。

私が通っていた進学塾では、
先生が巨大なしゃもじを持ち、
生徒をぶん殴るのが定番だった。

叩き方も心得ていて、
平面ではダメージが薄い事から
カドで叩くから恐ろしい。

更に、怖いのが1対1で出題される問題である。
これに答えられないと二の腕部分の一番柔らかい部分を思いっきりつねられる

この結果、生徒の二の腕には
赤い斑点がいくつも出来上がる。

はじめは赤くなり血豆紫色になり
→段々と黄色みがかかってくる

これが体が傷ついて治るまでの過程だ。

最大時には、その斑点は10個以上になり
最終的にはサボる事が増え
勉強が大嫌いになった。

体罰は連鎖を生む無意味な行為

中学では部活が楽しみであったが、

実際に入部すると(テニス部)
・時間内は走りっぱなしの日
・腕立てだけ永遠やる日
・球拾いのみの日
いずれかであった。

中でも、球拾いはまだわかるが
完全に拷問の内容は納得できなかった。

先輩は上級生から同じ拷問を受けているだけに
我々後輩にも”同じことをさせて”ストレスを発散するのである。

厳しい練習は歓迎であるが
練習にならないシゴキ(いじめ)はまるで意味が無い。

当時はまだまだ戦争の”軍隊的”な流れが続いていた時代だった。



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コメント

  1. 匿名さん より:

    この時代の先生たちは異常すぎる異常ですね、思いやりの無い先生たちですね…