【1945年】姫路城が黒い網で覆われる【昭和20年】太平洋戦争対策

姫路城は太平洋戦争の時、空襲の目標にならないように、
白い壁を黒い網(偽装網:ぎそうもう)で覆って偽装しました。
この網はコールタールで染めたわら縄で作られていました。

姫路市立城郭研究室には、
黒くなった姫路城の写真が保存されています。
また、西の丸にある百間廊下には、
網をかけるために打ち込んだ釘が今でも残っています。
この釘は鉤金具と呼ばれています。

黒い網は戦後に取り外されましたが、
姫路城の歴史を物語る貴重な遺構です。

姫路城は、兵庫県姫路市にある日本の城で、
国宝や世界遺産にも指定されています。

姫路城は、1346年に赤松貞範が
姫山に城を築いたのが始まりとされています。
その後、戦国時代には小寺氏や黒田氏が城主となり、
関ヶ原の戦いの後には池田輝政が入城しました。

池田輝政は、1601年から1609年までの9年間で、
現在見られる大規模な城郭に拡張しました。
江戸時代には姫路藩の藩庁となり、
西国の外様大名監視のために西国探題が設置されました。

池田氏に始まり、譜代大名の本多氏や榊原氏、
親藩の松平氏などが城主を務めました。
明治時代には陸軍省の管理下に入りましたが、
市民の働きかけで姫路市へ払い下げられ、公開されるようになりました。

太平洋戦争中には空襲を受けましたが、
奇跡的に焼失を免れました。
姫路城は、「白鷺城」という別名も持っています。
これは、白い壁が鷺の羽根のように見えることや、
桜木山という別名が鷺山と訛ったことなどから来ていると言われています。



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